セレンディピティ 偶然が招く必然?
先日、大学時代の友人が結婚した。
学部もサークルもバイト先も一緒。お互い家に帰って眠る、もしくは、恋人と時間を過ごすとき以外は、ほぼずっと一緒にいたのではないかというくらい密な女友達。
そんな女友達の結婚式のムービーを制作するため、
数百枚近い彼女の過去・現在の写真たちと睨めっこしていると、
彼女と新郎の数年間にわたる軌跡をひしひしと感じずにはいられなかった。
この写真たちが語る思い出の1枚でも、現実に起きていなければ、
もしかしたら二人は出会っていなかったかもしれない。
一枚一枚の写真が語る、二人のそれぞれの過去すべてが折り重なって現在がある。
そんなことを考えていたらふとある映画の中のセリフを思い出した。
「人生は、無意味な偶然の連続なんかじゃない。いろいろな出来事が折り重なって、絶妙に計算された未来ができていくのだ。」
まさにコレ!とハッとしてしまった。
舞台はニューヨーク。
テレビプロデューサーのジョナサン(ジョン・キューザック)はクリスマス前の混雑するデパートにいた。そこで見つけた最後のひとつの手袋を購入しようと手を伸ばした瞬間、ある女性と手が触れる。それが心理カウンセラーでおとぎ話のような恋を夢見る女性、サラ(ケイト・ベッキンセール)だった。
お互いに恋人のためにと必死に手袋を奪い合うも、ひょんなきっかけで別の客に奪われてしまう。
おかしな出会いを果たした二人は、意気消沈しながらも、運命的なものを感じる。
しかしお互いに恋人がいる関係。一歩踏み込めずにいるうちに、サラがある提案をする。
「もしも、私たちの出会いが運命なら、まためぐり逢えるはず」
そういって、サラは自分の持っていた本に自らの連絡先を、
ジョナサンは5ドル札に自分の連絡先を書き、
サラはその本を古本屋に売り、ジョナサンはその5ドル札で買い物をした。
もしも、二人の出会いが運命ならば、いつの日かその本と5ドル札が手元に戻り、運命の扉は再び開くはずだ、というものだった。
そして、数年後。あれから連絡先を見つけることは出来ず、無情に過ぎる日々。
心のどこかでジョナサンとサラはお互いのことを忘れられずにいながらも、
恋人と婚約、結婚と交際は順調。結婚まで残された時間はあとわずか。
ジョナサンはサラの連絡先が書いてある本を、古本屋を見つける度に探し、
サラは5ドル札が手元にくるたびに落書きがないか確認した。
そして、思いも寄らない展開で二人の運命の扉が再び。。。
と、これ以上書いてしまうと、お話の大切な部分がネタバレしてしまうので
気になった方は是非、一度観て欲しい。
12月のニューヨークを舞台にロマンチックな恋人たちの恋愛模様が
個性豊かに描かれている。
中でも、セントラルパークのスケート場でのシーンは
観ているこっちが照れくさくなってしまうほど、ロマンチックなシーン。
おとぎ話のような恋愛を信じてるサラと、
ドキュメンタリー番組のプロデューサー、ジョナサン。
ラストの手前で、ジョナサンの婚約者がする“ある行為”が本当に切ない。
「あー、なんでまたあなたが!」
と思わず声に出してしまうほど、納得できるような、できないような。
正反対に思えた二人の人生が交差し、離れ、再び交差する、
なんともじれったーいこの映画。笑
でも、恋愛って実はそういうもんだよね。と納得させられてしまう。
本気で好きになった相手、本気で付き合った相手とは、
計算された展開なんかじゃなく、思わぬ展開や偶然が折り重なって、
まるでこうなることが運命だったんだ、と思わされるように
過去が築き上げられ、現在を形作る。
「人生は、無意味な偶然の連続なんかじゃない。いろいろな出来事が折り重なって、絶妙に計算された未来ができていくのだ。」
ジョナサンのこの言葉がスポッと心の中に収まった。
セレンディピティ=探しているものとは別に価値のあるものを見つけられる力
セレンディピティ=ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸福をつかみ取る力
セレンディピティ=経験から意味を見いだせる力
様々な意味を持つこの言葉。
ビジネスや人生の気付きのために使われることも多いけれど、
恋愛においても十分つかえる言葉。
今の恋と出会うために、過去の恋があって
今の恋が未来の恋を引き寄せるのかもしれない。
クリスマス、年末年始、お家でまったりしたい方にオススメの映画です。